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  • 特集

    歌舞伎の造花について深く知るための連載記事の3回目です。その1その2もぜひご覧ください。
    (取材・文 田村民子)

    花善

    花善が手掛けた造花。左から山吹、紅梅、白梅。

    花善では多種多様の造花を作っていますが、どんな体制で仕事をされているのでしょうか。前回に引き続き株式会社酒井造花製作所(花善)の社長・酒井克昌さんにお話をうかがいます。まずは克昌さんの役割ですが、大道具とのやりとりから全体の差配、染めや型抜きなどを担当しています。そして、出来上がった花びらや葉を針金やテープなどでひとつの植物の形に仕上げる作業は、克昌さんの奥様の智代さんをはじめ女性陣が引き受けています。

    花善

    (左・中)4人の女性で手際よくアヤメの花を仕上げる。(右)『浮舟』の舞台のアヤメ。

    取材でうかがった日は、アヤメの仕上げ作業をされていました。アヤメの造花は『伊達の十役』や『浮舟』、舞踊などで使われます。アヤメの花びらをよく見ると、平坦ではなくうねったような微細な立体感があります。こうしたデリケートな質感も、手作業。智代さんの説明によると、花びらを染めた後、まだ湿っている状態のときに手拭いにはさみ、手でぐいっとしごくようにしてうねりをつけるとか。使う道具は手拭いだけ。手先に染みこんだ技量で、花に命が吹き込まれていきます。

    『藤娘』の道具帳。

    『藤娘』の道具帳。

    歌舞伎の数ある演目のなかで、花の印象が強いものといえば、舞踊『藤娘』が思い浮かびます。照明を落として真っ暗闇のなかで静かに幕が開き、一瞬で明るくなると、舞台いっぱいに大きな藤の花が咲き誇っているという胸のすくような演出。客席からも、思わずうわーという声がこぼれます。この演出は、昭和12年に六代目尾上菊五郎が『藤娘』を踊るにあたり一新させたもので、藤を極端に大きくスケールアウトさせることで踊り手の身体を可憐に小さく見せるというねらいがあったとされています。

    花善

    (左)紙で作られた藤の造花。藤の花らしい、色と質感と形。花弁の広げ方によっても、表情が異なる。(右)『藤娘』の舞台写真。

    この藤の花の作り方について克昌さんに再びお話をうかがいます。藤の花弁は白地を残して紫に染め分け、やわらかな質感を表現しています。花の房は一番長いものでは15尺(約4.5m)もあるそうで、上から下にいくに従ってだんだん花弁が小さくなっていきます。この花弁を作るために大きさの異なる抜き型が7個も必要とのことでした。花弁は紙で作られていましたが、近年の歌舞伎では布が主流となっているそうです。

    こうして歌舞伎の造花に関わる現場を辿ってみると、想像以上に手間をかけて歌舞伎にふさわしいものを作り上げていることに驚かされます。造花を作る酒井克昌さんも、歌舞伎の舞台でそれを形にする大道具の西村健次さんも、いかにもたくましい男性なのですが、繊細な精神で仕事に向かっておられる姿に心惹かれるものがありました。

    花善

    後日、観劇したとき。舞台の隅になにげなく置かれた花木に、そこはかとなく余情が漂っているように感じました。きっと作り手の方々は「そこに注目されるのは本末転倒」とおっしゃるのだと思いますが、小さなところにも想いを込めた仕事があることを知った上で眺める舞台には、それまでとは異なる愛着が涌きます。つつましやかな歌舞伎の造花の職芸がこれからも深まり、継承発展していくことに期待します。(完)

    *「連載 歌舞伎座の大道具を支える職人」は、今後もさまざまな職人さんに光を当ててまいります。お楽しみに!

    *舞台写真や道具帳などの色味は、ブラウザによって見え方が異なる場合があります。予めご了承ください。

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    2013.08.20
  • 特集

    歌舞伎の造花について深く知るための連載記事の2回目です。その1をご覧になっていない方は、こちらもご覧ください。
    (取材・文 田村民子)

    花善

    (左)酒井造花製作所(花善)の玄関。(中)お仕事場には色とりどりの造花がたくさん。手がける造花の種類は100種類をゆうに超えるという。(右)花善社長の酒井克昌さん。

    酒井造花製作所、通称・花善(はなぜん)は、東京都北区の静かな住宅街のなかにあります。ドアを開けるとすぐにお仕事場になっており、色とりどりの造花がところ狭しと並んでいます。部屋全体がふわっと明るい雰囲気で、思わず心が浮き立ちます。さっそく社長の酒井克昌さんにどのような手順で造花を作られているのか、うかがってみました。

    酒井さんによると、作り方には主に2パターンあるそうです。1つ目は、白い紙をクッキーの抜き型のようなもので抜いてから染めて色を付ける方法。たとえば藤の花のように1枚の花びらのなかで白と紫で色のグラデーションをつける場合などは、こちらのやり方にします。2つ目は、色をつける順序が逆で、まず刷毛などで紙の両面に色をつけてから、型で抜くというやり方です。ものによって狙う色のトーンが細かく異なるため酒井さんが慎重に色味を検討しています。

    花善

    (左)型を抜く機械。(中)抜き型。銀杏、桜、紅葉、葉などの他、たくさんの種類の抜き型があった。手に持つとずっしりと重い。(右)菊の葉の抜き型。葉の大きさは2種類ある。

    花善

    (左)色を染める作業場。(右)染め上がった桜の造花。手仕事ならではの微妙な表情がある。

    造花のひとつひとつを間近で見ると、実物よりもうんと大きかったり、花びらの形も随分異なったりしていることに気付きます。でも、不思議なものでパッと見ると、どの花かすぐにわかります。酒井さん曰く、「歌舞伎の造花は、それらしく見えること、芝居の雰囲気に合っていることが大事」。それを具体的な形に落とし込んでいるのが酒井さんのお仕事なのですが、話をうかがってみると想像以上に細かく作り分けていることがわかります。

    たとえば花びらや葉の素材は、演目や場面に応じて模造紙や半紙、薄い和紙、布など繊細に使い分けています。舞台用の造花は近くで見るものではないので、素材の質感にそれほどこだわらなくてもよいのではないか…と素人は考えてしまいますが、やはり人間の眼は知らず知らずのうちにディティールの差を見分けてしまうもの。質感へのこだわりが、造花の質をあげているのです。

    花善

    (左)古典歌舞伎などで使われる桜。これは大道具に納品された状態のままの束。枝は本物の桜なので、1本1本に個性がある。(右)『ぢいさんばあさん』などの新歌舞伎では古典歌舞伎よりも写実に近い造花が使われる。

    お話をうかがっていて興味深かったのは、枝へのこだわりです。たとえば桜の花には、本物の桜の枝を植木屋から仕入れて用います。枝はソメイヨシノではなくヤマザクラのほうが、色などがふさわしいとのこと。また、しだれ桜にするための造花では、本物の柳の枝を使うそうです。(しだれ桜は『喜撰』などに登場します)。だれもが知っている桜などの植物は、少しでも違和感があるとニセモノ感が漂ってしまいます。歌舞伎の花々は写実でもなく、虚飾でもない、本物を超越した魅力があります。その秘密の一端を垣間見たような気がしました。

    *次回は、『藤娘』の藤の花などについてお伝えします。お楽しみに!

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    2013.08.02
  • 特集

    造花。だれもが知っている言葉ですが、
    歌舞伎の「造花」を知る人はあまりいらっしゃらないと思います。
    舞台の背景を彩る花々には専門の世界があり、
    熱意をもって仕事をしている人がいます。

    (取材・文 田村民子) *全3回

    歌舞伎には屋外の自然風景が実に多く出てきます。たとえば『京鹿子娘道成寺』の満開の桜の山や、『白浪五人男』で五人男が勢揃いする川べり、『野崎村』ののどかな田舎の風景など。それに屋内の場面であっても、背後に山や田んぼ、海などの風景が広がっていることが多く、どこかしらに自然の気配が漂っています。こうした自然風景には、花や木などの植物が欠かせません。歌舞伎の「造花」は情景にきれいに溶け込んでいますので、私たちはとりたてて意識することはありませんが、実は繊細な演技をしているようです。

    『京鹿子娘道成寺』の道具帳

    『京鹿子娘道成寺』の道具帳

     

    道成寺

    この舞台の場合は、下手側の桜の木と舞台上部の「吊り桜(糸桜)」に桜の造花が使われている。

    今回ご紹介するのは、歌舞伎をはじめ舞台用の造花を専門で作っている株式会社酒井造花製作所です。創業は大正12年。江戸三座(公式で歌舞伎興行が行える官許の芝居小屋)のひとつである市村座で大道具の仕事をしていた酒井善次郎が独立したことにはじまります。花を作る善次郎さんが作ったということで「花善(はなぜん)」という名で通っており、現在は孫にあたる克昌さんが社長として仕事を受け継いでいます。花善では、初代同様に大道具の仕事を経験してから家業に入ることが慣例となっており、克昌さんも大学卒業と同時に大道具の仕事に就き経験を積んだそうです。

    花善

    (左)仕事場にかかげられている酒井造花製作所(花善)の看板。(右)社長の酒井克昌さん。

    造花が舞台に出されるまでには花善と大道具の連携が必要です。たとえば桜の木の場合は、花善が花のついた枝の状態まで仕上げて納品し、それを受け取った大道具の担当者がベニヤ板などで作った幹に枝を1本ずつ打ち付けて、ひとつの木の形に仕上げます。

    造花製作のお仕事場を拝見する前に、まずは歌舞伎のなかでどんな風に「造花」が使われているのかを、おさらいしたいと思います。歌舞伎座の大道具のなかには、舞台に使う花や木、草などを専門で扱う担当者がいます。現在、メインで担当している西村健次さんに、一般の人が理解しやすいように舞台に登場する造花(花や葉など)を分類していただきました。

    花善

    (左)舞台用の松を作っている西村健次さん(歌舞伎座舞台株式会社・舞台課)。入社以来18年間、造花一筋。熱心な学究肌で、造花の仕事を追求するため仕事をしながら通信制の芸術大学でランドスケープの勉強も積んだという。(右)「土手もの」のやぶを作っているところ。

    【歌舞伎に登場する造花類のおおまかな分類】

    (1)舞台の上部にのれん状に吊ってある「吊り枝」
    桜や紅葉、梅などの造花が使われる。

    (2)桜の木など、1本で自立している樹木
    桜や梅、紅葉、柳などの造花が使われる。
    (松は造花ではなく、本物を使うことが多い)

    (3)草や菊など、まとまった状態で床に置く「土手もの」
    草、菊、アヤメ、アシなどの造花が使われる。
    (登場頻度の高い笹のやぶは、本物の笹を使う)

    花善

    紅葉狩』の道具帳。上記で紹介した(1)(2)(3)の全てが登場。(1)舞台の上に紅葉の造花で作られた「吊り枝(つりえだ)」。(2)中央の松とその右隣の紅葉の木は、絵ではなく立体で紅葉の葉は造花。(3)土手ものの菊が数カ所、置かれている。

    花善

    (2)自立した樹木の例:(左)桜の木『鞘當』仲之町(中)青紅葉の木『忍夜恋曲者 将門』(右)紅梅の木『野崎村』

    花善

    (3)土手ものの例:(左)秋草『浮舟』(右)菊『菊畑』

    造花に携わる大道具の仕事は、植物本来の枝の付き方などの生物学的な知識を持つことはもちろん、歌舞伎独特の美意識に沿う視点で形をつくるセンス、そして大道具の道具としての扱いやすさを考慮するなど、さまざまな感覚と技術が必要です。桜の木を作る場合を例にとってみると、『白浪五人男 稲瀬川勢揃い』のように1本ずつがバラバラに配置される場合と、吉原・仲之町の春の景色で舞台中央に桜がまとまって咲いている場合では、同じ桜でも枝の打ち付け方を違わせなければならないといいます。素人から見ると微少な差ですが、その場にふさわしいシルエットを緻密に計算し、繊細に作り分けているのです。

    『白浪五人男 勢揃いの場』

    『白浪五人男 勢揃いの場』

    歌舞伎の大道具すべてに言えることですが、歌舞伎に登場する花や木は、作り手の歌舞伎の美意識のトンネルを通過して、本物らしさと様式美の両方を備えた姿となって舞台に出されています。造花を作る酒井さん、そして舞台のために形を整える大道具の両方の仕事が優れているからこそ、造花たちは歌舞伎の花へと転じて舞台に溶け込んでいるのです。(その2へ続く)

    *次回は、いよいよ花善さんのお仕事場を訪問します。お楽しみに!

    *舞台写真や道具帳などの色味は、ブラウザによって見え方が異なる場合があります。予めご了承ください。

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    2013.07.24
  • 特集

    歌舞伎座の大道具の提灯を作っている柏屋商店の上野三郎さんにお話をうかがいながら、提灯について深く知るための連載記事の最終回です。その1その2もぜひご覧ください。
    (取材・文 田村民子)

    看板

    上野三郎さんのお仕事場。仕上げた提灯を天井から吊しておくのは、表面に塗った油を乾かすため。

    提灯は火袋と呼ばれる中央部をつぶして小さくすることができます。使わないときは品良く収納したいというのは日本人の美点であり、提灯はそれを体現した道具のひとつといえます。しかし、それゆえ作る方に手間がかかります。なにしろ軸がないわけですから、ふわふわと不安定。上野さんのように形ができあがった後に手で文字や図案を入れていく人にとっては、本来は厄介なはずです。一体、どうやって仕事をしているのでしょう。

    つっぱり

    左:使い込まれて、いい飴色になっている「つっぱり」。右:つっぱりを持っておられるのが上野三郎さん。提灯の大きさに合わせて、さまざまな長さがある。

     

    はけ

    火袋につっぱりを張ったところ。右は色を塗るための刷毛。

    実は、火袋の内側につっかい棒のようなものを入れて、張りをもたせて仕事をしているのです。これは「つっぱり」と呼ばれる竹の棒で、上野さんのお手製。1つの提灯に3本のつっぱりを用います。実際につっぱりを入れるところを見せていただきましたが、ちょっと加減を間違うと火袋を突き破ってしまいそうで、おいそれと素人が真似できるものではありません。しかも、つっぱりで張りをもたせているとはいえ、この状態で色を塗ったり、文字や図案を描いたりするには、なんとも心許ない感じです。当たり前ですが、長い修練を経なければ、仕事ができません。

    ひごに型をつけるための道具。半円の端に溝が刻まれている。型をつけた後は、提灯の口から抜いて取り出す。

    ひょんなことから提灯の形を作るための貴重な用具も拝見しました。火袋の骨になる細い「ひご」をあの丸い立体にするために、くせをつける道具があるというのです。今は上野さんがこれを使うことはないそうですが、大切にしまっておられたものをわざわざ探し出して見せてくださいました。それは木製の8枚の板で、これを円状に広げると火袋の形になります。周縁にはひごを沿わせるための溝が刻んであり、その溝にそって1本のひごを螺旋状に巻きつけ、くせをつけるというのです。螺旋状にするということは1枚ずつの溝の位置がずれているということ。8枚の板の形は微妙に異なるため、並び順が狂うとひごが流れていきません。板に書かれた番号を見ながら、上野さんが並び替えていきます。今ではこうした木製の型を使うことはほとんどないとのことで、貴重な資料です。

    提灯作成図

    上野さんは快活なお人柄で、腰も軽く大変お元気そうですが、大きな病気を抱えておられるとのことでした。歌舞伎の仕事は月によって仕事量も異なり、ことに月の後半はスケジュールが厳しくなることが多いといいます。歌舞伎の仕事を存分にやり抜くために、他はあまり取らないという姿勢を貫いてこられた上野さん。しかし、「仕事を引き受けたのに、もしも病気などで納期に間に合わないということがあっては、申し訳ない」と、今後については思案中とのことでした。提灯づくりに生涯を捧げてきたからこそ、自分を偽れないのかもしれません。

    職人の世界は膨大な時間をかけて身体に技をたたき込むもの。そうして身体化された記憶に基づく技の伝承は容易ではありません。こうした課題は、歌舞伎を支えるものづくりの世界ではあちこちに散見され、実効ある対策が待たれるところです。歌舞伎座の大道具でも場吊提灯の部材作りの一部を引き受けるなど、一歩踏み込んだ連携を模索しつつ、現場レベルでの解決策を探っています。

    歌舞伎座
    提灯ひとつにも、深い物語がしみ込んでいます。歌舞伎座の大道具はこうした道具を作る人に支えられながら仕事をしています。今度、歌舞伎座にお出かけになったら、まずは玄関で上野さんの手が触って生み出した提灯をたっぷり愛(め)でてみてはいかがでしょうか。(完)

    イラスト作成:歌舞伎座舞台(株)デザイン課

    歌舞伎座の大道具を支える職人 提灯 その1
    http://kabukizabutai.co.jp/saisin/tokusyuu/203/

    歌舞伎座の大道具を支える職人 提灯 その2
    http://kabukizabutai.co.jp/saisin/tokusyuu/276/

    *「歌舞伎座の大道具を支える職人」は今後、シリーズ展開してまいります。これから、さまざまな職人さんをご紹介する予定です。お楽しみに!

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    2013.06.26
  • 特集

    歌舞伎座の大道具の提灯を作っている柏屋商店の上野三郎さんにお話をうかがいながら、提灯について深く知るための連載記事の2回目です。その1をご覧になっていない方は、こちらもご覧ください。
    (取材・文 田村民子)*全3回

    柏屋

    上野三郎さんのお仕事場。歌舞伎座の座紋「鳳凰丸」が入った赤い場吊提灯が目をひく。

    さて、いよいよ歌舞伎の舞台に登場する提灯についてお話をうかがいます。
    歌舞伎の演目ではさまざまな提灯が登場しますが、裏方の分類でみると2系統あり、屋体の軒につり下げる提灯などは大道具、俳優が手に持つものなどは小道具が手配します。大道具が扱う提灯で登場頻度の高いものは、やはり赤い丸い提灯です。

    二寸弧

    『於染久松色読販』(左)『籠釣瓶花街酔醒』(右)

    『於染久松色読販』と『籠釣瓶花街酔醒』の提灯を見てみましょう。図案は異なりますが、サイズは同じです。上野さんによるとこの提灯は一括して「二寸弧(にすんこ)」と呼ぶそうです。その名称の付け方がいかにも職人らしい。大道具の世界同様に尺貫法(尺、寸など日本古来の長さなどの単位)を用いた表現ですが、二寸といっても実は一尺二寸(約36センチ)。一尺は入れなくても一尺以上というのは見て明らかなので端折っているのです。では、どこの長さかというと火袋(ひぶくろ)と呼ばれる丸い部分の縦の長さを示しています。そして形が丸いものを「弧」と称しているのでしょう。あまたあるであろう多品種の提灯から区別するのに過不足ない呼称です。こうした名前の付け方は職人にとっては、なんということもないことかもしれませんが、古い呼び名には味があり外の世界の者には興味深く感じられます。

    場吊提灯

    場吊提灯

    上野さんが「うちと歌舞伎の大道具でしか通じない名称」という歌舞伎ならではの提灯があります。それは場吊提灯(ばづりちょうちん)。襲名披露や『お祭り』、『暫』などの舞台に飾られるもので、俳優や劇場の紋が入ります。もちろんこれらの紋は上野さんの手描き。型紙などを使わず目見当で描いていくため、複雑な紋は時間がかかります。ひとつひとつ疎漏のないように仕上げていきます。おもしろいのはその形です。客席から見ていると普通の提灯に見えますが、実は後ろは平らで半丸なのです。近くで見ると納得するのですが、かなりの大きさがあるため、これが球体であるのと半丸であるのとでは収納スペースにかなりの差がでます。観客には関係ない話ではありますが、大道具が扱うものはまさに道具が大きく、かつ一日に沢山の演目が出るため収納を工夫しなくてはいくら空間があっても足りません。そういう意味で、半丸の場吊提灯はすぐれものといえます。

    場吊提灯

    場吊提灯。横から見ると、半丸であることがわかる。

    さて、どうやってこの形を作っているかというと、普通の提灯を上野さんがはさみでジョキジョキと半分に切っているのです。野暮を承知で、アタリの線を引くんですか?とたずねてみると「勘ですよ。どんどんやらなきゃ納期に間に合いませんよ」。とにかく時間との戦いのようです。

    大道具

    大道具の絵描きが描いた提灯(2013年6月歌舞伎座公演『鞘當』)

    少し余談になりますが、歌舞伎の大道具の「絵描き」が描いた絵の提灯もあります。この提灯の裏側には照明が仕込んであり、ほんのりと明るくなるようにしてあります。これを「灯入れ(ひいれ)」といいます。これにはちょっとした工夫があって、白い柄の部分は光が透過するように蝋(ろう)で描いてあります。熱してゆるくした蝋が固まらないうちに、さっと手早く描かなくてはなりませんので高い技量が必要です。芝居の仕事というのは、うまいだけではダメで、いずれも「いかに早くこなすか」が重要なのです。(その3へ続く)

    「絵描き」の仕事について
    http://kabukizabutai.co.jp/daiichi_bijyutsu/

    歌舞伎座の大道具を支える職人 提灯 その1
    http://kabukizabutai.co.jp//saisin/tokusyuu/203/

    歌舞伎座の大道具を支える職人 提灯 その3
    http://kabukizabutai.co.jp/saisin/tokusyuu/286/

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    2013.06.13
  • 特集

    歌舞伎座の建物、客席を情緒豊かに彩る赤い提灯。
    芝居のなかでは、さまざまな種類が使い分けられ、
    馥郁たる光を放ちながら、さりげなく場面を盛り立てます。
    これらの提灯の絵付けは、全て職人の手仕事。
    江戸後期から今に続く、提灯作りの心と技の世界をご紹介します。
    (取材・文 田村民子) *全3回


    歌舞伎座から歩いて約10分。新富町の静かな裏通りに提灯作りを生業としている柏屋商店があります。創業は江戸時代後期の文政年間。当時、芝居町として賑わった浅草猿若町にあり、江戸三座(公式で歌舞伎興行が行える芝居小屋)のひとつである森田座(後に守田座と改称)の出入り職人となります。歌舞伎座との付き合いは第一期が開場した明治22年から。歌舞伎座で目にする提灯は、大道具が扱うものと小道具が扱うものがありますが、それぞれ店が異なり大道具及び劇場関係の提灯は柏屋商店が担当しています。

    上野さん

    (左)柏屋商店五代目主人の上野三郎さん。仕事場をこぎれいに整理整頓されており、こちらが欲すれば戸棚の奥や床下などから、すぐさま望んだ品を取り出して見せてくださった。(右)柏屋商店の神棚。新富町には、かつて新富座という大きな劇場があった。江戸三座のひとつ守田座が明治5年に猿若町から新富町へと移り、その後、新富座と名を変えた。

    ここで提灯を作っているのは上野三郎さん。昭和15年のお生まれで、小学校低学年から父親の手伝いをはじめ、高校を卒業してから本格的にこの道に入りました。店を継いでいた兄が亡くなり、26歳で五代目主人として家業を継ぎます。現在、東京で劇場、大道具用の提灯を製作する唯一の店であり、上野さんはたったお一人で仕事をこなしています。

    歌舞伎座の提灯というと、すぐに思い浮かぶのは正面入り口の上に並ぶ赤い提灯です。数えてみると18個。それから歌舞伎座の前に飾られる絵看板(演目ごとに描かれる肉筆画で、主な登場人物が配されている)の上にも提灯が吊されています。こちらは1列12個。これが2つありますから合計24個。客席やロビーなどの場内も含め、歌舞伎座が新開場する際は、約350個もの提灯が新調されました。

    絵看板

    (左)絵看板の上に飾られた提灯。屋外に吊るす提灯は屋内用と同じ仕様とのこと。だいたい5年くらいはもつという。(右)絵付けの途中の提灯。紋は上下の真ん中よりやや下を中心にして図案を描いている。提灯は高いところに飾られるため、客は下から見上げることになる。それを計算しての配慮。

    江戸の提灯作りは分業制。提灯本体の製作は別の職人が行い、上野さんは主に絵付けを担当しています。注文が入ってから提灯本体の製作を依頼していては間に合わないため、あらかじめ仕入れておきます。そして、刷毛や筆を使って手作業で色を塗り、文字や紋を入れていきます。

    劇場の紋を「座紋」といいます。歌舞伎座は「鳳凰丸(ほうおうまる)」で、口上などでも座紋入りの提灯が飾られ舞台を盛り立てます。ずらっと並んだ提灯はいずれも判で押したように同じに見えるので、ステンシルのような型紙を使っているのかと思いきや、ひとつひとつ手描きとのこと。型紙を作ったほうが早いのでは?と愚問を投げかけると「場合によっては型を作ることもあるけど、提灯の表面は球体でカーブしているから面倒。型を作るのに1日とられちゃうでしょ。手で描いたほうが早いですよ」と、言い切ります。1日かけても型を作ったほうが効率がいいのではないか…、というのははやり素人の発想なのでしょう。以前、高名な文化人類学者の川田順造さんが世界各国の職人の仕事のやり方を比較して、「西洋では大げさな道具を作って誰がやってもできるようにしたがる。それに対し、日本の職人は道具なしで手でさっさとやってしまう」と言われていましたが、それを立証するかのような言葉でした。

    稲荷神社

    (左)歌舞伎座の正面に向かって右手にある歌舞伎稲荷神社。この提灯も上野さんが手掛けたもの。(右)縦長の垂れ幕は「懸垂幕(けんすいまく)」といい、勘亭流の文字で書かれるのがきまり。この文字を書いているのも実は上野さん。小さいサイズで上野さんが手書きし、それを拡大して製作される。

    ちなみに1日で作れる数は、客席に吊されている提灯の場合は、5〜6個を仕上げるのがやっと。サイズの大小でみると、小さな提灯に細かい図案や文字を書くよりも、時間はかかるが大きな提灯のほうが仕事としては手が楽とのことでした。(その2へ続く)

    歌舞伎座の大道具を支える職人 提灯 その2
    http://kabukizabutai.co.jp/saisin/tokusyuu/276/

    歌舞伎座の大道具を支える職人 提灯 その3
    http://kabukizabutai.co.jp/saisin/tokusyuu/286/

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    2013.06.06
  • 特集

    大道具の仕事の裏側は、普段はなかなかお客様の目に触れることがありません。私たち裏方は本来は陰に徹するものであり、舞台の裏側をお見せすることで「舞台の輝き」を失わせることがあっては本末転倒です。しかし、大道具に関心を寄せてくださるお客様、これから大道具で働いてみたいと思われる方々に、先人の知恵の詰まった仕事の詳細や創意工夫をしながら常に新しく変化していく様子を知っていただけたらとも思っております。これから、少しずつ私たちの仕事についてもこのWebサイトでお知らせしていきたいと思っております。

    歌舞伎の大道具は「道具帳」と呼ばれる一枚の絵を基に製作されます。

    第一回は、「道具帳(どうぐちょう)」ができるまでをご紹介します。
    道具帳とは、舞台を真正面から見たときの完成図のようなもので、1/50の縮尺で場面ごとに1枚ずつ筆で描いていきます。今回は、歌舞伎座の「八月納涼歌舞伎」(平成25年8月)に上演される『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』(通称かさね)の道具帳を作る過程をご紹介します。道具帳を描いているのは、弊社デザイン課の田淵宜孝です。

     

    道具帳を製作中の田淵宜孝


    デザイン課 社員紹介 田淵宜孝のインタビューもぜひご覧ください。
    http://kabukizabutai.co.jp/recruit/interview/design.html


    「歌舞伎座新開場柿葺落 八月納涼歌舞伎」平成25年8月2日~24日
    http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2013/08/post_62.html

    【1】線描き

    黄色い縁取りに見えるのは、マスキングテープです。平面図、書抜き(製作図面)をもとに正確な寸法で線描きをします。
    視点は歌舞伎座の客席2階の前列くらい。少し見下ろす感じです。背景の地平線(水平線)の高さに注意して、描いていきます。

    【2】塗込み1(遠景)

    まずは遠景から塗り始めます。今回は空をぼかして塗っていますが、照明で処理することもあります。
    山の色は、空気遠近法によって遠い山を薄い色にしています。同様に、田圃や森も遠くが明るくなるようにしています。ぼかしは、筆とエアブラシを使い分けています。

    【3】塗込み2(中、近景)

    木地の色、土手、ヤブなどの緑色を入れていきます。水車小屋や橋、水門はムラがあっても大丈夫なので(後で仕上げの調子を付けるから)下描きの線が見えるくらい薄く塗ります。
    この演目は舞踊なので(実際には所作舞台を敷くので)、地舞台よりきれいにしています。ちなみに地舞台の芝居の場合は、これよりも少し濃くし、板目を書く事もあります。

    【4】塗込み3(スミなど濃いめの色)

    黄色いマスキングテープがはがされて、だんだん最終形に近づいてきました!
    土手は塗りぼかしていますが、更に代赭(たいしゃ)という色でぼかしを入れます。代赭とは、赤土から採れる赤鉄鉱を原料とする黄褐色または赤褐色の顔料のことです。
    樹木は黒の上に下地の濃い緑色を重ねています。それから舞台の額縁上部の「一文字幕」などの黒い色も塗ります。

    【5】仕上げ1

    遠景の樹木、たんぼの畝、土手、ヤブ、それから近景の樹木の葉を描き込んでいきます。土手の襞(ひだ)や草のひげ、水車小屋などの細かい部分も手を入れています。

    【6】仕上げ2

    青もみじ、柳、河原なでしこを描き込みます。これまで橋のたもとに傍示杭(ぼうじぐい:境界のしるしに建てられた標柱のこと)を描き入れていたのですが、演者によって位置が変わるので、それを考慮して枠外に変更しました。最後に陰影を入れ全体の色調を整えて、完成です。

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    これ1枚でだいたい4〜5日くらいかかります。実際の舞台では照明もありますので、それも考慮しながら描きます。そして、この道具帳を元にして役者さんや演出家、振り付けの方との打合せをします。

    道具帳を描くとひと口に言っても、やり方は1つではなく時と場合によって紙や画材が異なります。
    日本画出身の人が描く場合は、和紙に絵の具がにじまないようにするために陶砂(どうさ:みょうばん水ににかわを溶かしたもの)を引いて、顔料(粉の絵具)を使って描きます。
    今回ご紹介しているものも含め、歌舞伎座ではだいたいワトソン紙に主にアクリル系の絵の具で描いています。水に強く(濡れても大丈夫!)年月が経っても変色しにくいからです。しかし、部分によって代赭や緑青などの顔料も使います(道具帳は飾って眺めるものではなく、現場で働く絵なのです)。

    実際に舞台の背景を描く時は、通常は布に泥絵具(どろえのぐ)で描きます。歌舞伎座の背景は通常(道成寺やかさねなど)はおおよそ縦4.5メートル、横30メートル、面積にすると135平方メートルという大きなものになります。泥絵具は、粘土などを顔料とした濁った絵の具のことで、大道具の世界では古くから使われてきました。粒子が粗いので、舞台にのせて照明を当てたときに乱反射を起こします。そのなんともいえない雰囲気が歌舞伎独特の照明に合うのです。

    道具帳ができるまでのご紹介、楽しんでいただけましたでしょうか。今後もこのような特集記事を掲載していきたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

    ※無断複写、転載を禁ずる。

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    2013.05.22
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