歌舞伎座の大道具を支える職人 提灯 その1
歌舞伎座の建物、客席を情緒豊かに彩る赤い提灯。
芝居のなかでは、さまざまな種類が使い分けられ、
馥郁たる光を放ちながら、さりげなく場面を盛り立てます。
これらの提灯の絵付けは、全て職人の手仕事。
江戸後期から今に続く、提灯作りの心と技の世界をご紹介します。
(取材・文 田村民子) *全3回
歌舞伎座から歩いて約10分。新富町の静かな裏通りに提灯作りを生業としている柏屋商店があります。創業は江戸時代後期の文政年間。当時、芝居町として賑わった浅草猿若町にあり、江戸三座(公式で歌舞伎興行が行える芝居小屋)のひとつである森田座(後に守田座と改称)の出入り職人となります。歌舞伎座との付き合いは第一期が開場した明治22年から。歌舞伎座で目にする提灯は、大道具が扱うものと小道具が扱うものがありますが、それぞれ店が異なり大道具及び劇場関係の提灯は柏屋商店が担当しています。
ここで提灯を作っているのは上野三郎さん。昭和15年のお生まれで、小学校低学年から父親の手伝いをはじめ、高校を卒業してから本格的にこの道に入りました。店を継いでいた兄が亡くなり、26歳で五代目主人として家業を継ぎます。現在、東京で劇場、大道具用の提灯を製作する唯一の店であり、上野さんはたったお一人で仕事をこなしています。
歌舞伎座の提灯というと、すぐに思い浮かぶのは正面入り口の上に並ぶ赤い提灯です。数えてみると18個。それから歌舞伎座の前に飾られる絵看板(演目ごとに描かれる肉筆画で、主な登場人物が配されている)の上にも提灯が吊されています。こちらは1列12個。これが2つありますから合計24個。客席やロビーなどの場内も含め、歌舞伎座が新開場する際は、約350個もの提灯が新調されました。
江戸の提灯作りは分業制。提灯本体の製作は別の職人が行い、上野さんは主に絵付けを担当しています。注文が入ってから提灯本体の製作を依頼していては間に合わないため、あらかじめ仕入れておきます。そして、刷毛や筆を使って手作業で色を塗り、文字や紋を入れていきます。
劇場の紋を「座紋」といいます。歌舞伎座は「鳳凰丸(ほうおうまる)」で、口上などでも座紋入りの提灯が飾られ舞台を盛り立てます。ずらっと並んだ提灯はいずれも判で押したように同じに見えるので、ステンシルのような型紙を使っているのかと思いきや、ひとつひとつ手描きとのこと。型紙を作ったほうが早いのでは?と愚問を投げかけると「場合によっては型を作ることもあるけど、提灯の表面は球体でカーブしているから面倒。型を作るのに1日とられちゃうでしょ。手で描いたほうが早いですよ」と、言い切ります。1日かけても型を作ったほうが効率がいいのではないか…、というのははやり素人の発想なのでしょう。以前、高名な文化人類学者の川田順造さんが世界各国の職人の仕事のやり方を比較して、「西洋では大げさな道具を作って誰がやってもできるようにしたがる。それに対し、日本の職人は道具なしで手でさっさとやってしまう」と言われていましたが、それを立証するかのような言葉でした。
ちなみに1日で作れる数は、客席に吊されている提灯の場合は、5〜6個を仕上げるのがやっと。サイズの大小でみると、小さな提灯に細かい図案や文字を書くよりも、時間はかかるが大きな提灯のほうが仕事としては手が楽とのことでした。(その2へ続く)
歌舞伎座の大道具を支える職人 提灯 その2
http://kabukizabutai.co.jp/saisin/tokusyuu/276/
歌舞伎座の大道具を支える職人 提灯 その3
http://kabukizabutai.co.jp/saisin/tokusyuu/286/